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F1と医療福祉の共通点F1と医療福祉の共通点

川上:それだけ強い意志を持ってF1パイロットになるという夢を叶えた左近さんですが、ご両親からはどのような教育を受けたのですか。

左近:母は、教育とは1日も早く子どもを自立させるために身につけさせるものと考えていたようです。
一方父は、僕の個性を伸ばすことを第一に考えていたと聞きました。
父は、僕が生まれたばかりの頃から、毎晩本を読み聞かせてくれたそうなんです。
子ども用の絵本だけじゃなくて、父が読みかけの小説や哲学書までなんでも。
僕が理解しようとしまいと、関係なかったんですね。
僕は生後間もないときから、ゆりかごに入れられて父と一緒に施設の理事長室に出勤していて、少し大きくなると、施設に入居しているお年寄りや知的障がいを持った方たちと仲良く遊んでいたそうです。

川上:そうやってどんな人とも分け隔てなく触れ合う環境が、その後の左近さんに大きな影響を与えたのかもしれませんね。
カートレースを始めて、左近さんはメキメキ頭角を現していくわけですが、もっと早くからカートを始めていた子ども達とのギャップは、どうやって埋めたんですか。

左近:スクールでカートに乗れるのは月2回。
でも僕は、自宅にいるときも、普段学校にいるときも、ずっとカートのことを考えていました。
自転車に乗りながら、どこをどう走ったらスピードが上がるかとか。
高校生になり、カートチームには勝てるところと勝てないところがあるんだということを強く実感しました。
勝てるところは、何度戦っても勝てる。
でも勝てないところはいつまで経ってもチャンピオンになれない。
その差はとても明確で、「ずっと勝てないチームにいたら、自分もそのレベルを超えられない」と思い、僕は常勝チームに移籍したんです。

川上:「勝つチーム」とそうでないチームの差はどこにあるんですか。

左近:僕がそれまで在籍していたチームは、レースではなかなか勝てなかったけれど、とても面倒見がよかった。
みんな優しくて、雰囲気は最高でした。
でもその反面、どこかゆるいというか、マシントラブルが多かったり、車が汚かったり、シビアなセッティングができていなかったりしたんです。
一方、勝つチームは和気あいあいとしていながらも、なあなあさがない厳しさがあって、レース前の準備が緻密。
トラブルがあってもすぐに対処できるよう、いくつもの選択肢を事前に用意していました。
当然、お金もかかるし、スタッフの数も必要になる。
だけど、常に最善の選択ができるし、リスクヘッジもできる。結果的にチャンピオンになれる。

川上:経営学と同じですね。
経営の世界でも、無駄なものを排除したり、効率性ばかり追求したりすることは必ずしも良いことではなくて、研究開発費のように、もしかしたら無駄になるかもしれない余白の部分をわざと置いておかなければ、企業は成長していけないんです。

左近:まさに僕らがいた世界と同じですね。
僕は世界を転戦する中で、いいチームも悪いチームもたくさん見てきました。
悪いチームはドライバーに「お前が遅いから負けたんだ」って、ロジカルじゃないことを平然と言う。
でも、いいチームはきちんとデータ分析をしていて、きっちり勝てるラインまで調整に手を抜かない。
そうやってどれだけエビデンスをベースにPDCAを回せるかというところに、勝つチームとそうじゃないチームの差があるんじゃないかなと思います。

川上:振り返れば、カートをはじめてすぐ、22歳でF1パイロットになるまでの道のりをしっかり見据え、逆算ではじき出したところにも、左近さんのロジカルな思考がうかがえます。
あまり過去の失敗を振り返ったり、後悔したりしないタイプですか?

左近:いや、そんなことはないですよ。
一回一回のレースが、F1パイロットになれるかどうか、そして、F1パイロットであり続けられるかの戦いでしたし、毎日が崖っぷちの心境。
車をぶつけて落ち込んでいたとき、「終わったことにくよくよしても仕方ない。切り替えが大事だよ」とオーナーに言われたこともありました。
でも、人間は目の前にあるものを確実にこなしていくことも大事だけど、その一方、思い切ってチャレンジし、ミスして学ぶこともあるのだろうと思うんです。

川上:失敗からしか学べないこともある、と。

左近:あの皇帝と呼ばれたミハエル・シューマッハでさえ、本番前のテスト走行でコースアウトしたり、クラッシュすることもありました。
ドライバーとして、クラッシュはしようとしてするものではない。
でも、あえて練習で自分の限界を超えてるトライをする。クラッシュしたことから学び、本番で確実に100%の力を発揮できる。
下手だからクラッシュするのではなくて、自分のギリギリに挑戦するからエラーが出るのだし、このエラーは確実に成功へつながっていく。
一歩一歩着実に積み重ねることも大事だけど、そうやって、思い切って大きく踏み出した人の方が、早く目標にたどり着けることもあるんじゃないかなって思うんです。

川上:左近さんは、「夢に向かって挑戦するのに、いつでも遅すぎることはない」と思いますか?

左近:いえ、遅いことはあるでしょうね。
35歳になった僕が大リーガーになりたいと思っても、ほぼ100%無理でしょう。
しかし視点を変えれば、夢を叶えるのに遅すぎることはないと思います。
たとえば「自分はなんのために大リーガーになりたいのだろう」と考えて、「野球を通して人に幸せを届けたい」という夢が見えてきたら、野球チームのコーチになるとか、チームオーナーになるとか、いろいろな選択肢が浮かんでくる。
それは、決して実現不可能な夢ではありませんよね。
大事なのは野球選手になることが“目的”なら、それを叶えることは難しいかもしれない、でも、野球が目的を叶えることの“手段”なら、その夢は実現可能だということです。

川上:なるほど。
僕たちはつい、手段を目的化してしまうけれど、手段が先行してしまうと結果的に追い詰められ、行き場がなくなってしまいますよね。

左近:僕はいま、医療や社会福祉の仕事をしていますが、「F1パイロットだったのに、もったいない」と言う人もいます。
でも僕自身は、F1パイロットをしていたからこそ、この道に進むことができた、というか、F1パイロットになったのは、この道に進むためだったのかなって思うこともあるんです。
F1ではいつも厳しい戦いの連続でした。
僕は高校生の頃から鏡に向かって「絶対に勝てる」と自分自身に言い続けてきました。
そうやって自信を持たせないとやっていられないほど、プレッシャーが大きかったんですね。
でもあるとき、気づいたんです。
僕がレースで幸せを感じるのは、僕の勝利を共に喜び、敗戦を自分のことのように悔しがってくれるサポーターの方達がいるからで、みんなのために頑張っているときこそ、僕がもっとも強くなれたということに。
「自分の行為で周りの人を幸せにする」ということにおいては、F1も医療福祉の仕事も変わりなく、その目的に向かって、いま、できることを一歩一歩確実に進めていくことが、僕のやるべきことなんだって思うんです。

川上:子どもの頃に左近さんがセナやプロストから夢とエネルギーをもらったように、今度は自分が誰かに夢を手渡す存在になるということですね。
これからレースに参戦することは考えていますか。

左近:そうですね。
モナコのクラシックカーレースやル・マン 24時間レースに出てみたいという思いがあります。ジェントルマンドライバーだと50歳くらいで参加している人もいるので、そういう大人の嗜みはかっこいいと思いますし、自分も参加してみたいですね。

川上:夢に向かって一歩ずつ、ですね。
今日はどうもありがとうございました。

山本 左近
幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1 パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少 F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また学校法人さわらび学園を取得し専門学校教育事業を通じて、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に取り組む。
日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。

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